書評・東野圭吾「悪意」※途中からネタバレあり

東野圭吾という作家の作品を初めて読んだのは、10年以上前だっただろうか。

その作品が何という作品だったか覚えていないが、あまり面白いと思えず、途中で読むのをやめてしまった。

しかしこれは極めて運が悪かったと言える。

なぜならこれまで読んだ東野圭吾の作品の中でも最も自分の好みに合わないものだったと思えるからだ。

その後、ある時知人とオススメの本の話になり、知人のオススメは東野圭吾と聞き、「前に読んだ事あるけど面白いとは思えなかった」と伝えたところ驚かれ、ならばと違う作品を読んでみたところ、まぁ面白い。

今では彼の大ファンだ。 

彼の作品はほとんど読んでいるが、極めてハズレが少ない。(というと偉そうなので、自分好みの作品が多いという程度に捉えていただければ。)

複雑に張り巡らされた伏線が回収されていく話の筋も面白いし、人間の描写も自然に感じる。

誰とは言わないが、他の作家の作品を読んでいると「いや、そこでその発言は不自然でしょ」と言いたくなる事が多いが、東野圭吾の作品にはそういう事は感じない。

一度アンジャッシュの渡部健が「東野圭吾の作品なんて普段本読まない人が読むものでしょ」と発言して炎上したようだが、これもある意味当たっているのかもしれない。

東野圭吾の作品はとにかく読みやすく面白い。

複雑に張り巡らされた伏線があるのにもかかわらず、スイスイ読めてしまい、なおかつ結末では「そうきたかぁ、いやー、今回も面白かった!」という感想が残るのだ。

そして今回読んだ「悪意」という作品はそんな東野圭吾の作品の中でも最高傑作と言いたい作品だった。

 

ーーーここからネタバレありーーー

 

最初に違和感を感じたのは、本のボリュームに対してあまりにも早い段階で犯人が捕まってしまう事だった。

一瞬、短編集かと目次を見直してしまったくらいだ。

しかしどうやらそうではないようだったので、どうやらここからどんでん返しがあるようだとワクワクした。

自分はこれまでも東野圭吾の作品はほとんど読んでいたのでそう思えたが、初めて読むのがこの作品だった人は戸惑ったのではないかと思う。

なんせ359ページの作品にもかかわらず、100ページくらいで真犯人がわかってしまうのだ。

真犯人が別にいるのだろうか?とか、実は共犯者がいるのに隠しているのか?などと考えてみるもわからない。

とりあえず読み進めると動機の解明になる。そこで犯人が隠そうとしていた動機を加賀恭一郎が解明していく。ここまではこれまでに読んだ他の作品でもあった事だ。

しかしここでもまだかなりページは残っている。

どうするつもりなんだろうとワクワクしながら読み進めると、やはり驚きの結末が待っていた。

そして読み返してみると無数の伏線があった事に驚いた。

そして、完全に手玉に取られたなぁ、と一人余韻に浸っていた。

読者が「あ、そういう事か」と気づかない程度のごく微量の違和感をたくさん散りばめており、「そういえばあれ何か変だと思ったんたよな〜」と思わされてしまうのだ。

逆に言えば東野圭吾はそうした緻密な心理の計算が完璧にできているという事になる。(自分が鈍いだけなのかもしれないが。

そう考えると、東野圭吾は小説モンスターなのではないかと思って空恐ろしくなると共に、早く次の作品が読みたくなってきた。