坊主頭のメリット・デメリット
坊主頭にしてもうすぐ丸2年になる。
若いころにも何度か坊主頭にした事があるのだが、今回は最長だ。
今後も続けようと思っている。
坊主ってどうなの?とう疑問に勝手にお答えしてみたい。
坊主のメリット
①経済的
坊主にしている人の大半がそうだと思うが、バリカンがあれば自分でカットできる。
坊主以外の髪型の場合、逆にロングヘアーくらいまでのばさないと自分でカットするのは難しい。そして、散髪にかかるお金は安くない。
美容室に行くなら1回3000円くらいかかるし、1000円カットでも毎月行けば年12000円かかる。
それに対してバリカンならそこそこの性能のものでも数千円程度で売っているので非常に経済的だ。
さらにシャンプーも少量でいいし、ドライヤーや整髪料も要らない。
かなりの節約になる。
②とにかく楽
先述したようにドライヤーの必要がないし、髪をセットする必要もないのでとにかく楽だ。
自分はくせ毛なので寝ぐせ直しや髪のセットにかなり手間取っていたのでなおさらだ。
③環境に優しい
シャンプーも少なくて済むし、すすぎに使う水の量も少なくて済む。
ドライヤーや整髪料も不要なので環境に優しい。
坊主のデメリット
もちろんメリットだけではなく、坊主頭にはデメリットもある。
①異端視される
いまだに「坊主頭=罰」のイメージがあるので、好んで坊主頭にする人間は異端視されがちだ。
しかも自分は筋トレをしているのでガタイも良いし、まぶしいのが苦手なので普段はサングラスをかけている。
街を歩いていると、避けられているように感じる事がある。
ただ、これは悪い事ばかりではない。
中身は普通の中年男性なので、見かけとのギャップで勝手に「見た目と違っていい人」と思われやすいようだ。
学級委員長がお年寄りに親切にしていても普通だが、不良が同じ事をすると「あいつ実はすごく良いやつなんじゃないか?」と思われるのと同じ仕組みだ。
②直射日光に弱い・ぶつけると痛い
初めて坊主頭にした時、いかに髪が頭を守っているのかを文字通り痛感した。
自分の場合、初めて坊主にした時はわけあって全部そり上げたのでなおさらだった。
髪に保護され続けてきた頭皮にとって、すべての刺激が初体験だ。
直射日光を浴びれはすぐにヒリヒリするし、ちょっとでも頭をぶつけようものなら、涙が出るほど痛い。
今はそり上げてはいないのでそこまでではないが、やはりぶつけると髪があった時より痛く感じる。
なのでなるべく帽子をかぶるようにしている。
と言っても、髪があった時も帽子をかぶっていたし、同じかぶるなら坊主の今の方が楽だ。
まとめ
というわけで、坊主にして丸2年たった今、感じているのは上記のようなことだ。
職場の環境や職業、頭の形など、誰にでもできるわけではない坊主頭だが、やってみるとその快適さに驚く。
「坊主にするとモテなくなる」と思う人もいると思うが、個人的にはよくわからない。自分はすでに結婚しているのでモテる必要もないからだ。
ただ、「坊主頭はイヤ」という女性にモテるために坊主頭をあきらめると、万が一結婚してから坊主にしようとしても反対されるかもしれない。
事前にふるいにかけるためにも、いずれ坊主にしたいならさっさとやる事をおススメする。
俺が飲食店経営をやめた理由は睡眠障害克服と子育てのため
俺は昔飲食店を経営していたが、深夜までやっていたので、まさに昼夜逆転の生活だった。
若くて独り身だった頃は別に苦ではなかったが、年齢を重ねるごとに少しずつ負担を感じるようになっていった。
そして子どもが生まれてさらに負担は増えた。
朝眠りについても子どもが起こしにくるのだ。
まだ何もわからない幼児に対して怒るわけにもいかない。
妻も子どもに俺が寝ている時は部屋に行かないように言ってくれてはいたが、そう簡単に言う事を聞いてくれはしない。
週に何度かは寝入りばなに起こされていた。
それでもまたすぐに眠れればいいのだが、一度目が覚めてしまうとなかなか眠れない。
そうこうしているうちにいつの間にか睡眠障害に陥っていた。
なかなか寝付けなかったり、子どもに起こされてもないのにすぐに目が覚めてしまったり。
そうするとカラダにも不調が出てくる。
仕事中に眠気が襲ってきたり、集中力が低下したり、気力が低下したり。
一番つらかったのは冬場に常に風邪気味だった事だ。
すぐに風邪をひき、なかなか治らない。
気力でカバーしていたが、無理がたたって急性気管支炎になり緊急入院した事もある。
もちろん、色々と対策もした。
コーヒーをやめてみたり、運動をしてみたり、睡眠導入剤に頼ったり。
しかし、なかなか改善はしなかった。
当然、経営状態も徐々に悪化した。
あの頃は色んな葛藤があった。
飲食店経営は夢だったが、命を削ってまで続ける事なのか?というのが一番大きな葛藤だったが、「子どもと一緒にいる時間が少ない」というのも「このままでいいのだろうか」という葛藤を生んだ。
子どもが小さいうちは、平日にお店を休んで旅行にも行ける。
実際、旅行代金の安い平日に沖縄に行ったこともある。
どこも空いてて快適だった。
しかし、幼稚園、小学校になると平日は休めない。
どうしても休めないわけではないが、学校にはちゃんと行かせたかった。
そして俺は逆に週末は休めない。
都会のオフィス街なら土日休みという形態もあるだろうが、田舎は土曜日も稼ぎ時だ。
日曜日は定休にしていたが、家族と遊びに行けるのは日曜日だけ。
そうした葛藤の中、さんざん悩んだ末、一人だけいた従業員の退職を機に店を閉める事にした。
閉めたはいいものの、次の予定も決めていなかったので、しばらくはしんどかった。
とりあえず、地元に帰った。
しかし実家は狭く、同居はできない。
賃貸の戸建てを借りたが、家賃は安くない。しかもこの時点では無職だ。
職探しもなかなかうまくいかない。
30代半ばで働ける職場は限られてくる。
とりあえずつなぎで色々な仕事をやった。
太陽光パネルの設置検査、造船所の雑役、金属ゴミの回収。
あの頃はとてもみじめだった。店を閉めた事を後悔したこともあった。
しかしそんな中、「これだ!」と思える仕事が見つかった。
それが今の仕事なのだが、やりがいもあり、日中の勤務で土日祝休み、盆暮れに2か月分のボーナスが出るし、誰でも知っている大企業の関連企業。条件面もとても良いので満足している。
恩返しをしようと頑張った結果、好成績を残して一定の評価を得る事もできた。
本当に運が良かった。
そして入社4年目にローン審査も通り家も買えた。
今は毎週末家族で過ごし、土日で遊びに行けるようになった。
夜はゆっくり眠れるので健康的にもなった。
規則正しい生活で気力、体力も充実してきたので筋トレなどの運動にも取り組める余裕ができた。
先日体組成計でカラダ年齢を測ったら、20代後半だった。
めちゃくちゃ健康体だ。
本当に色々あったし、これは結果論かもしれない。
もしかしたら一家離散になっていたかもしれない。
やりたいと思える定職がなかなか見つからず、妻に当たった事もある。
そんな俺を見限らず、支え続けてくれた妻には本当に感謝している。
日本人は忍耐や長く続ける事を評価する。
そういう意味では夢だった飲食店経営を途中で放り出した俺はハンパものかもしれない。
しかし、結果的に俺は葛藤から解放され、幸福を手に入れた。
もちろん、運が良かっただけかもしれない。
でも、もしあなたが同じような悩みを抱えているなら、こういう解決方法もあるという事を知って欲しい。
時には忍耐も必要だと思うが、忍耐ばかりだと心身がすり減ってしまう。
先の見えない未来のために現在を犠牲にするのは本当に最良の選択肢なのだろうか?
あなたに合う環境がきっとあるはずだ。
自分を知る事で家選びにも失敗しない
この前、結婚に失敗しないためには「自分に合った相手を選ぶ」事が大事だという記事を書いた。
その後考えてみると、これは万事に当てはまるな、とも思える。
職業もそうだし、友だちにしても趣味にしてもそう。
自分を知り、自分に合ったものを選ぶ事で人生が充実してくる。
とりわけ、大半の人にとって人生最大の買い物となるであろう「家」はその傾向が顕著になる。
自分や家族の特性、今後の生活プランを無視して選んでいては、満足な家選びはできない。
そういう自分も、最初の家選びには失敗した。
次女が生まれ、賃貸の2DKでは手狭になり、広い住まいを探していて、最初は賃貸で探していたが築10年、5LDKの中古が格安だったので飛びついてしまった。
実際、住み心地は悪くなかったのだが、「広さ」は自分の生活にはフィットしなかった。
ムダに広いので掃除に時間がかかるし、デッドスペースには捨てられないモノがどんどん溜まってくる。
さらに庭に関してはなおさらだった。夏場になると雑草の繁殖力が猛威をふるい、炎天下でひたすら雑草を抜き続けた事もある。
家庭菜園を作ってみたものの、農業の大変さを思い知るだけで途中からは苦痛だった。
前の持ち主がアル中で借金で首が回らなくなり、競売物件だったのも良くなかった。
運気が悪いのか、引っ越し早々子どもが階段から転げ落ちて大けがをしてしまった。
さらにビジネスも傾き、ビジネスを手放すと同時にこの家も手放した。
幸い購入金額とほとんど変わらない金額で売れたので良かったが、家も仕事も失い今考えたらどん底だったと思う。
そしてそれから7年、何とか経済的にも気力的にも持ち直す事ができた。
精神的にボロボロだった自分を支えてくれた妻には頭が上がらない。
そして、再度家を買う事にした。
家選びの際、まず最初に考えたのは「中古はやめる」という事と、「庭はいらない」という2点。
中古に関しては、やはり最初に家を買った時のトラウマがある。
庭に関しては、小さい子どもがいるなら庭で遊ばせるのが安心だったりするが、娘二人は小6と小4だ。自分たちで公園に行ける。
家庭菜園は自分には向いていない事がわかったのでもうやらない。
バーベキューは庭がなくても駐車場でやってもいい。
そして、今回の家選びの最大のポイントは自宅筋トレにがっつりはまった自分の「家にトレーニングルームを作りたい」という希望。
それまでは賃貸戸建ての2階の自室でやっていたが、ウェイトの総重量が200kgくらいあったので妻は「床が抜けるのではないか」と心配していた。
まぁ成人男性3人分の重量で床が抜けるようなら欠陥住宅なのだがそう言う話でもないようだ。
ようは「気になってしまう」という事だったようだ。
その結果、今の家に決めたわけだが、もちろん新築の庭なしだ。
そして、肝心のトレーニングルームはまぁまぁ立派なものが出来上がった。
ケーブルトレーニングのできるパワーラックを置き、毎日トレーニングを楽しんでいる。
肝心の床だが、あえてコンクリート打ちっぱなしの土間を作った。
これで床が抜ける心配はない。
最初の家の時、マイホームを手に入れた喜びは格別だった。やっと一人前になれた気がした。
今の家は2度目なので、最初の時ほどの感激はなかった。
しかし、住み始めてからの満足度は10倍くらいある。
もしこれから家を買う予定があるなら、一般的な家購入の常識を一度疑ってみて、自分のライフスタイルに合う家はどういうものなのか考えてみる事をおススメする。
書評・東野圭吾「悪意」※途中からネタバレあり
東野圭吾という作家の作品を初めて読んだのは、10年以上前だっただろうか。
その作品が何という作品だったか覚えていないが、あまり面白いと思えず、途中で読むのをやめてしまった。
しかしこれは極めて運が悪かったと言える。
なぜならこれまで読んだ東野圭吾の作品の中でも最も自分の好みに合わないものだったと思えるからだ。
その後、ある時知人とオススメの本の話になり、知人のオススメは東野圭吾と聞き、「前に読んだ事あるけど面白いとは思えなかった」と伝えたところ驚かれ、ならばと違う作品を読んでみたところ、まぁ面白い。
今では彼の大ファンだ。
彼の作品はほとんど読んでいるが、極めてハズレが少ない。(というと偉そうなので、自分好みの作品が多いという程度に捉えていただければ。)
複雑に張り巡らされた伏線が回収されていく話の筋も面白いし、人間の描写も自然に感じる。
誰とは言わないが、他の作家の作品を読んでいると「いや、そこでその発言は不自然でしょ」と言いたくなる事が多いが、東野圭吾の作品にはそういう事は感じない。
一度アンジャッシュの渡部健が「東野圭吾の作品なんて普段本読まない人が読むものでしょ」と発言して炎上したようだが、これもある意味当たっているのかもしれない。
東野圭吾の作品はとにかく読みやすく面白い。
複雑に張り巡らされた伏線があるのにもかかわらず、スイスイ読めてしまい、なおかつ結末では「そうきたかぁ、いやー、今回も面白かった!」という感想が残るのだ。
そして今回読んだ「悪意」という作品はそんな東野圭吾の作品の中でも最高傑作と言いたい作品だった。
ーーーここからネタバレありーーー
最初に違和感を感じたのは、本のボリュームに対してあまりにも早い段階で犯人が捕まってしまう事だった。
一瞬、短編集かと目次を見直してしまったくらいだ。
しかしどうやらそうではないようだったので、どうやらここからどんでん返しがあるようだとワクワクした。
自分はこれまでも東野圭吾の作品はほとんど読んでいたのでそう思えたが、初めて読むのがこの作品だった人は戸惑ったのではないかと思う。
なんせ359ページの作品にもかかわらず、100ページくらいで真犯人がわかってしまうのだ。
真犯人が別にいるのだろうか?とか、実は共犯者がいるのに隠しているのか?などと考えてみるもわからない。
とりあえず読み進めると動機の解明になる。そこで犯人が隠そうとしていた動機を加賀恭一郎が解明していく。ここまではこれまでに読んだ他の作品でもあった事だ。
しかしここでもまだかなりページは残っている。
どうするつもりなんだろうとワクワクしながら読み進めると、やはり驚きの結末が待っていた。
そして読み返してみると無数の伏線があった事に驚いた。
そして、完全に手玉に取られたなぁ、と一人余韻に浸っていた。
読者が「あ、そういう事か」と気づかない程度のごく微量の違和感をたくさん散りばめており、「そういえばあれ何か変だと思ったんたよな〜」と思わされてしまうのだ。
逆に言えば東野圭吾はそうした緻密な心理の計算が完璧にできているという事になる。(自分が鈍いだけなのかもしれないが。
そう考えると、東野圭吾は小説モンスターなのではないかと思って空恐ろしくなると共に、早く次の作品が読みたくなってきた。
人間はカラダを動かさないと不健康になる
筋トレを続けていくうちに気付いた事だが、人間は(というか動物全般に言える事だが)カラダを動かさないと不健康になる。
「運動不足は万病の元」という言葉があるかどうか知らないが、そのくらい運動不足はカラダに良くないと思っている。
元々人間・動物は何千年、何万年に渡ってカラダを動かして食糧を得てきた。
ところが文明化により動かなくても食糧を得る事ができるようになった結果、運動不足が蔓延してしまった。
その結果、病気になる人が増えてしまったと考えている。
ある研究では、長寿の人の生活を調査した結果、「粗食と軽度な肉体労働」が共通点だったようだ。やはりカラダを動かす事は健康には必須のようだ。
余談だが、俺は長寿にはそこまでこだわっていない。だた、生きている間は健康でいたい。病気に苦しみながら生きるのは辛いだろうから。
そのためにもこれからもカラダを動かす事は続けていきたいと思う。
ちなみに、冒頭に「筋トレを続けていくうちに」と書いたが、何も筋トレにこだわる必要はない。
ジョギングでも、登山でも、マリンスポーツでも、自分が興味を持てて楽しくできるものを選ぶのが長続きするコツだと思う。
ただ、できるなら筋力と持久力をバランス良く鍛えた方がいいだろう。
筋トレばかりしていると、体格は良くなるがスタミナがなくなって持久力が落ちていくし、持久力ばかり鍛えていると筋力が落ちて代謝が悪くなる。
あとは食事も気をつければ言う事なしだが、あまりストイックにやりすぎると気持ちが折れてしまうので、「何もやらないよりまし」くらいの軽い気持ちで、できることから始めるのがいいだろう。
何事も無理をすると続かない。
俺が筋トレ・運動をする理由
筋トレを始めてもうすぐ4年になる。
37歳というかなり遅めのデビューなのでガチガチのマッチョには程遠いが、久しぶりに会った友人から「何かマッチョになってない?」と言われるほどのカラダにはなれた。
で、「何で筋トレしてんの?」と聞かれる事もあり、「何となく」と答えてお茶を濁しているのだが、ちゃんと理由はある。
きっかけは子どもがある程度大きくなってきた頃、市民プールに連れていった時だった。
そこにマッチョがいたのだ。
彼は周囲の視線を集めながら、それに気付いているのかいないのかわからないが悠然と子どもと遊んでいた。
自分は中肉中背で、サーフィンをしていた事もありそこそこ締まったカラダだったと思うし、「だらしない」とか「貧弱」といったカラダではなかったと思う。
でもマッチョを見て心底かっこいいと思ったし、羨ましかったし、マッチョでない自分が少し恥ずかしかった。
そして娘が物心ついた時、マッチョなお父さんとそうでないお父さん、どちらを誇りに思うかと考えた時、「これはもうマッチョになるしかない」と思い、今に至る。
「自意識過剰だ」とか「マッチョにはそんなに需要はない」と思われる方がいる事は百も承知だ。でも俺はマッチョになりたかった。そしてそれなりにマッチョになった。
マッチョになった気分はたまらない。自分で見ていても気分がいいし、裸になっても恥ずかしくないという変な自信もつく。
体調もいいし飯もうまい。
肝心の娘はそんな父の努力に気付いてくれているのかわからないが、11歳になった今でもだっこをすると喜ぶ。
しかも筋トレをしているので片手で小脇に抱える事ができる。
そんな時、「ああ、筋トレしててよかった」と感じる。
うまくいく結婚の仕方は人それぞれ
今日、このようなツイートを見た。
単純に色々な形があって良いと思います。夫婦は2人の世界観ですからどこかの価値観を他の夫婦に押し付けてはいけませんから私も誰かに自分らの世界観を押し付けるつもりはないです。一方私は誰の価値観も受け付けませんので嫁がかわいそうと言われても全く応じません。犠牲と負担があれば将来返します https://t.co/h9UiS4fq6R
— 与沢 翼 (@tsubasa_yozawa) 2019年6月11日
自分も何だかんだで結婚してもうすぐ丸13年、付き合って2年で結婚したので約15年、毎日のように顔を合わせているわけだが、飽きもせず毎日楽しく暮らしている。
お互いに素で色々と話ができるし、若い頃はケンカもしたが、ここ数年は大きなケンカもなく、子どもも交えて笑いの絶えない円満な家庭を築けたと自負している。
理由を分析すればいくつか思い当たる節はあるし、若い頃はそれを根拠に偉そうに人にアドバイスをしたこともある。
しかし最近になって思うのは、与沢氏の言うように夫婦の形なんて人それぞれなんだという事。
断っておくが俺は与沢氏の信奉者でも何でもない。多少は興味はあるが、たまたまこのツイートを見て、「そうだよな~」と思っただけの事だ。
まぁそれはさておき、例えば夫が絶対的に強い「亭主関白」な夫婦もあれば妻が強い「カカア天下」な夫婦もいる。
どちらがいいか、というと、それは当人が納得しているならどっちでもいいのだ。
絶対的な信念を持つ強い男と、そんな男に心底ほれ込んで尽くすのが好きな女がくっつけばどちらも納得できる。
優柔不断な夫と気の強い女がくっつけばそれもうまくまとまる。
そういう意味ではまず自分というものを知り、どういう相手が自分に合うのかと考えていくといいのではないかと思う。
「己を知り敵を知れば百戦危うからず」という名言はこういったところにも生きてくるのかもしれない。
まぁうまくいく結婚のコツは「自分に合った相手を選ぶ」という事になるのだろうか。
余談だが、自分の場合、「自己中、忍耐力がない、飽きっぽい」というネガティブな性質が、結婚においてはプラスに働いたと思っている。
まず、飽きっぽいから女性と付き合ってもすぐに飽きてしまう。飽きた相手と我慢して付き合う忍耐力がないから自己中心的にすぐ別れてしまう。
そんな事を繰り返していくうちに、何人かに一人、飽きない相手が出てくる。
今になって振り返って考えてみると「自分の考えを持った芯のある女性」という共通点があるのだが、その時はそんな事はわからない。
まぁそんな女性全てから飽きられないほど、いい男というわけでもないので振られるのだが、自分も飽きず、相手にも飽きられなかったのが今の妻というわけだ。
なので他人に「結婚で失敗したくなければ場数を踏め」と偉そうにアドバイスをしたこともあるが、それは単に自分が場数を踏まなければわからなかっただけで、若くして自分をわかっている人に対しては何の意味もないアドバイスだっただろうと反省している。